しくじりサークル長~オレみたいになるな!~

こんにちは、コバヤシです。

以前コモリくんがサークルの代表職に関して記事を書いていましたが

私事ながら、僕も所属する雑誌制作サークルの編集長の仕事をすべて次代に引き継ぎ終えたので、ちょっと所感を書いていきたいと思います。

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 まず、僕の1年間のサークルの運営に対する評価は成功とはいえないです。

詳細は後で書くのですが、大きな失敗こそなかったものの、明確に見えていながらカバーできていなかった場所がありました。なので、そのしくじりとそこで得た教訓を紹介していきたいと思います。

 

・Let`s改革!~エゴだよそれは~

編集長に就任した僕は様々な改革を行おうとしました。

例えば

練習もかねて当番制で毎週画像1枚に収まる程度の企画をTwitterで掲載する(認知度を上げ、新入生がTwitterで雰囲気をつかみやすくする狙いもあった)

勉強として市販の雑誌を教材にデザインや企画の意図などをみんなで分析する(惰性で連絡をするだけになってしまいがちな定例会に来る意義を作ろうとした)

Line@で告知・情報発信をする(他サークルも使える告知プラットフォームとして交流、協力できる体制を作り学内メディアとしての価値を向上させたい)

みたいなことをやろうとしていました。

実際に行われることはありませんでした・・・

理由は単純。

部員の賛同を得られなかったからです。

提案すると「はぁ・・・いや・・・ん、やるんですか?」

とめんどくさいオーラ全開。

とはいえ明確に否定もされなかったので就任した11月から3か月くらいは新年度からとりあえずやってみようよ!と言い続けたものの、冬休みに突入し、一年の最大の山場である新歓号(別名裏シラバス)の制作に忙殺され疲れ切ってしまい、結局実行されないまま任期は終わってしまいました。

 

ここで「最初は多少強引にでもやっちゃえばよかったじゃん」と思った方もいるかと思います。

ごもっとも!

そうなんですよねぇ。ですが、当時の僕が改革を断行しなかったのには2つ理由があります。

1つは僕とは別に存在する代表のAくんがバッキバキの保守派だったからです。

実際僕の改革案は理想論であり、しかも学生の考えた拙いものです。改革を提案したことは無駄だったとは思いませんが、あえて対極に立って待ったをかけ、建設的に意見をくれたAくんの存在はありがたいものでした。

 

もう一つの理由は僕の中に

「この改革ってオレのエゴでしかないんじゃないか」

 という思いがあったからです。たぶん、インプットとアウトプットの増量は、技術の向上には役立ったと思うのですが、それは部員の負担も増加させることになってしまいます。

部員たちは賃金で責任を負っているわけでもなく、雑誌制作に熱意がない人もいました。そんな彼らに負荷を強制するのはエゴでしかないように思えてしまい、外部からはとりあえずやってみるべきとの助言もいただいていたのですが、結局実行には移しませんでした。

 

ガチ勢とエンジョイ勢という構図はコミュニティ運営においてはよく見られるものだと思いますが、そのコミュニティの主題がクリエイティブにあるのであればガチ勢に合わせた調整をしたほうが良いと思います。

エンジョイ勢に合わせた調整の結果、今うちのサークルの雑誌はページ数も減り、クオリティも下がっています。自分たちのコミュニティの主題は何で、どの層を重視すべきかは、新体制になってすぐにコンセンサスを取っておいたほうが良いと思います。

 

・コミュニケーションというコスト

人と話すのって難しいですよね。

でも、コミュニケーションを怠る≒腹を割って話せなくなると、様々な問題が起きます

例えば

・意見をくみ上げづらくなる

・信用できないので裁量を与えられない

・間違ったことをしたときに指摘しづらくなる

等が挙げられます。

1つ目は、上だけでなく下も把握しておくべきことだと思うのですが、基本的に大学のサークルなどの場合、上に立っているものが下のものと人生経験や知識量においてそこまで絶対的な差がある場合は少ないと思います。

 

要するに、上のヤツは自分のことで手一杯で、きちんと主張しないと下の意見をくみ上げられないことも多いという事です。

 

もちろん上の人間が聞く姿勢や機会を設けるのは重要ですが、下の人間もしょせんそいつは1,2歳しか違わない人間だということを覚えておきましょう。

2つ目、3つ目は単純に、仕事を任せるにしても注意するにしても、距離があると気まずくて言いづらいからです。

 

うちのサークルでは特に3つ目の影響が強く、定例会は基本的に参加するものだったのが、うちの代の人間が平然と休むことが多かったり、暗黙の了解として上級生はこのくらいのページ数は制作しようというのがあったのが、忙しいからと制作自体しないといったことが相次ぎました。

そうすると下の代は当然定例会は出ないでいいし再作もしないでいいもんなんだと認識してしまいます。

うちの代がそんな体たらくだった時に、僕はまた無理強いするのはよくないんじゃないかとそれを咎めず、また、定例会の出席についても暗黙の了解だと思っていたので、下の代が出ないといけないものだと思っていなかったことが結構後になってわかったりといったことがありました。

また、意思決定を上の人間だけで済ませて後で報告だけする形にしてしまうと、部員から当事者意識が薄れてしまい、活動を人ごとのようにとらえてしまうことがあります。

せめて同期とぐらいは、バカアホと言い合っても遺恨の残らないくらいの関係を気付いておくといいと思います。

 

教訓

「信頼は作らなければできないもの!一緒に転べる仲間を作ろう」

 

僕がこれまでのしくじりを犯したのは、部員に対する「分かってもらえないんじゃないか、うまくいかなかったときにケツは拭いてもらえないんじゃないか」という信頼の無さが根底にあります。

今の1月という時期は、新体制になり少したって徐々に新世代の空気を作っていっている時期で、新しく上の立場になった人たちは不安なこともあると思います。

そんなときは部員たちとご飯食べに行ったり飲みにいたりしてコミュニケーションをよく取ってみてください。

転んでもこいつらとなら大丈夫だと思える仲間になれれば怖いものはありませんし、そんな仲間はかけがえのない宝になります。

 

僕の編集長としての所感は以上となります。

 

しかし、僕はまだまだ未熟な学生であり、しかもこの多様化の時代、コミュニティの形も様々であり何が正解かはわかりません。

 逆に言えば、自分が満足できれば、何でも正解になりうると思います。

ですので、皆さんも怖がらずに一度チャレンジしてみてはいかがでしょうか?

(かいたヒト:コバヤシ)